本田宗一郎の名言一覧|世界の偉人たちの名言・格言~成功者の言葉

本田宗一郎|55件。

本田宗一郎 - ほんだ そういちろう

成功とはあなたの仕事のほんの1パーセントに当たるものだが、それは失敗と呼ばれる99パーセントのものがあって初めて生まれてくるものである。

Success represents the 1% of your work which results from the 99% that is called failure.

本田宗一郎 - ほんだ そういちろう

私は若い社員に、相手の人の心を理解する人間になってくれと話す。それが哲学だ。

本田宗一郎 - ほんだ そういちろう

失敗が人間を成長させると、私は考えている。失敗のない人なんて、本当に気の毒に思う。

本田宗一郎 - ほんだ そういちろう

伸びる時には必ず抵抗がある。

本田宗一郎 - ほんだ そういちろう

進歩とは反省の厳しさに正比例する。

本田宗一郎 - ほんだ そういちろう

人類の歴史の中で本当に強い人間などいない。いるのは弱さに甘んじている人間と、強くなろうと努力している人間だけだ。

本田宗一郎 - ほんだ そういちろう

日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。

本田宗一郎 - ほんだ そういちろう

模倣、依頼、同調といった精神は、今ではどのような価値も生まないだけではなく、人々を根底から破壊する役割さえ果たしている。

本田宗一郎 - ほんだ そういちろう

もったいないようだけど、捨てることが、一番巧妙な方法だね。捨てることを惜しんでいるヤツは、いつまでたってもできないね。

本田宗一郎 - ほんだ そういちろう

会社の為に働くな。自分が犠牲になるつもりで勤めたり、物を作ったりする人間がいるはずない。だから、会社の為などと言わず、自分の為に働け。

本田宗一郎 - ほんだ そういちろう

人生でも、企業でも、一度貧乏とか不況とかを立派にくぐり抜いてきたものなら、そいつはどこまでも信用できる。

本田宗一郎 - ほんだ そういちろう

創業当時、私が「世界的視野に立ってものを考えよう」と言ったら噴き出したヤツがいた。

本田 宗一郎(ほんだ そういちろう、1906年(明治39年)11月17日 - 1991年(平成3年)8月5日)は、日本の実業家、技術者。輸送用機器メーカー本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者。 略年譜 1906年(明治39年) - 11月17日、静岡県磐田郡光明村(現在の浜松市天竜区)で鍛冶屋をしていた本田儀平と妻みかの長男として生まれる。 1913年(大正2年) - 光明村立山東尋常小学校(現在の浜松市立光明小学校)に入学。在校中に自動車を初めて見る。遠く離れた浜松町和地山練兵場まで自転車を、三角乗りで、アート・スミスの曲芸飛行を見学に行き、飛行機を初めて見るなどの経験をする。 1919年(大正8年) - 二俣町立二俣尋常高等小学校(現在の浜松市立二俣小学校)入学。 1922年(大正11年) - 高等小学校卒業、東京市本郷区湯島(現在の東京都文京区湯島)の自動車修理工場「アート商会」(現在のアート金属工業)に入社(当時の表現で「丁稚奉公」)。