本田圭佑の名言一覧|世界の偉人たちの名言・格言~成功者の言葉

本田圭佑|30件。

本田 圭佑(ほんだ けいすけ、1986年6月13日 - )は、大阪府摂津市出身のプロサッカー選手。セリエA、ACミラン所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。日本代表。オーストリアのサッカークラブであるSVホルンの実質オーナー。日本人アスリート初のMIT特別研究員、就任期間2年。 プロ入り前 大阪府摂津市出身。両親は本田が小学2年生の春に離婚。幼少時は鳥飼さつき園に通っていた。摂津市立鳥飼北小学校2年時から地元の摂津FCに入団しサッカーを始めた。摂津市立第四中学校に入学。あだ名はゴリ。その後、ガンバ大阪ジュニアユースに所属し家長昭博、安田理大、東口順昭らとともにプレーしたが、当時からスタミナやスピードには難があり、ユースチームへの昇格内定が出なかったため、石川県の星稜高校へ進学した。1年時に高円宮杯全日本ユース選手権で準優勝し、3年時には第83回全国高等学校サッカー選手権大会に出場して、石川県勢として初のベスト4に貢献した。

本田 圭佑(ほんだ けいすけ、1993年4月24日 - )は、埼玉西武ライオンズ所属のプロ野球選手(投手)。 プロ入り前 宮城県仙台市太白区出身(泉区生まれ)。柳生小学校3年生の時に西中田ゴールデンアクロスで野球を始め、柳生中学校では軟式野球部で遊撃手としてプレーした。 東北学院高校入学後に投手に転向し、2年生の春にエースになった。甲子園出場経験はない。 東北学院大学では2年生の春に仙台六大学野球のリーグ戦に出場。3年生の 春季リーグで防御率がリーグトップの1.56を記録し、秋季リーグでは4勝を挙げ敢闘賞を受賞した。4年生の秋季リーグでは、6回参考記録ながらノーヒットノーランを達成した。大学通算では28試合に登板、184回2/3を投げ15勝7敗、防御率1.90の成績だった。 2015年10月12日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから6位で指名を受け、契約金2,500万円、年俸700万円(金額は推定)で合意し、入団。

本田圭佑 - ほんだ けいすけ

「現実を認めたくない」自分がいて、「現実を受け入れろ」という自分もいる。現実を認めなければ、今を生きることができないですから。

本田圭佑 - ほんだ けいすけ

でも時に、現実を受け入れることに慣れすぎてしまうと止まってしまう。それは怖いことでもある。

本田圭佑 - ほんだ けいすけ

俺の人生は山あり谷あり。そう考えると今は谷底にいる。まだCSKAモスクワにいることもそう。

本田圭佑 - ほんだ けいすけ

勝負を決めるのは準備。なかでも気持ちの準備以上のものはないと思う。

本田圭佑 - ほんだ けいすけ

安定って言葉は、これまで生きてきてあんまり使ったことがないし、聞いたこともないですね。僕の辞書にない言葉です。

本田圭佑 - ほんだ けいすけ

地位や安泰なんて考えるようだったら、今の僕はない。

本田圭佑 - ほんだ けいすけ

基本的に小さいころからサッカーは倒れたら負けというつもりでやってきた。あそこはうまく倒れて、PKをもらう選手がうまい選手だとしたら、おれはいい選手ではない。

本田圭佑 - ほんだ けいすけ

ああいうゴールに飢えているやつが結果を残す。

本田圭佑 - ほんだ けいすけ

結局、みんなが嫌がることを我慢してできるかどうかなんですよ。オレはスーパーマンでもなんでもない。ただみんなが嫌なこともやれるし、夢のためにやりたいことも我慢できる。それを本当に徹底していて、あとは人よりも思いがちょっと強いだけ。その差が結果に現れたりするんですよ。

本田圭佑 - ほんだ けいすけ

全部取られたんですよ。最後におっさんが寄ってきて、お前のパンツもくれと。いやいや、パンツはいるやろと。

本田圭佑 - ほんだ けいすけ

ひとりでも多くの子に、勝負の楽しさを知ってもらいたい。負けず嫌いな気持ちを前面に出してもらいたい。

本田圭佑 - ほんだ けいすけ

ただ、勘違いしちゃいけないのは、下に落ちるっていうことが、進化してないということではないんですよ。下に落ちるのも、次に昇るための変化かもしれない。昇るために、落ちることが必要なこともある。