早川徳次の名言一覧|世界の偉人たちの名言・格言~成功者の言葉

早川徳次|31件。

早川 徳次 早川徳次 (シャープ)(はやかわ とくじ) - シャープの創業者。 早川徳次 (東京地下鉄道)(はやかわ のりつぐ) - 東京地下鉄道の創業者。

早川 徳次(はやかわ とくじ、1893年(明治26年)11月3日 - 1980年(昭和55年)6月24日)は日本の実業家・発明家。総合家電メーカーシャープ創業者。シャープペンシルやバックル「徳尾錠」の発明で知られる。東京府(現・東京都)出身。大正三美人として知られる江木欣々は異父姉。 1893年(明治26年)11月3日、東京市日本橋区久松町42番地(現・東京都中央区日本橋久松町)でちゃぶ台製造販売業の早川政吉、花子(旧姓:藤谷花子)の三男として生まれる。徳次が生まれた頃、早川家は副業のミシン縫製業で繁盛していたが、仕事の無理が祟って花子が胸を患ったため、早川家に出入りしていた肥料屋の出野家へ預けられ、生後1年11か月で正式に出野家の養子となる。 2年後の1897年(明治30年)に養母が急逝し、出野家は後妻を迎えるが、徳次は継養母から厳しく当たられ、食事も満足に与えられない過酷な幼少期を過ごした。尋常小学校へ進学するが2年で中退させられ、朝から深夜までマッチ箱張りの内職を手伝わされる日々が続いた。

早川 徳次(はやかわ のりつぐ、明治14年(1881年)10月15日 - 昭和17年(1942年)11月29日)は東京地下鉄道(後、帝都高速度交通営団→東京地下鉄)の創業者である。日本に地下鉄を紹介・導入し、「(日本の)地下鉄の父」と呼ばれる。 地下鉄に出逢うまで 山梨県東八代郡御代咲村(後の一宮町、現在の笛吹市)に生まれる。父の常富は御代咲村の村長を、長兄の富平は山梨県会議員を務めた人物である。旧制甲府中学(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を経て第六高等学校(現在の岡山大学)に入学したものの、2年の時に病気になり、中退を余儀なくされた。その後、上京して早稲田大学に入学。父や兄と同じように政治家を志し、在学中に後藤新平の書生となった。卒業後は後藤が総裁を務める南満州鉄道(満鉄)に入社した。後藤が逓信大臣と鉄道院総裁に就任すると満鉄を辞め、鉄道院に入局する。そこで東武鉄道の二代目社長にもなった根津嘉一郎 (初代)と出会う。 早川が鉄道と本格的に関わるようになるのは郷里の先輩である根津に見出されてからである。

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古来、戦場でも退却は非常に難しいこととされ、一軍の存亡が多くこれにかかったことはよく歴史に示されている。私のところも会社の規模が戦中に膨れ上がっており、その収縮の仕事はなかなか思うようにいかなかった。

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予算と見合った決算を得るためには正確な期末決算の予測を立てなければならない。それには当然、合理的で緻密な計数管理が要求されてくる。工場、支店営業所の末端に至るまで周到、克明な数字の裏付けを必要とする。我々は経済情勢の掌握と、それに対する柔軟な適応性を兼ねもってこの計数管理の徹底を約した。日々の営業部門の実績報告は無論のこと、品質会議、部長会議、さらには週初の重役会議と、すべてが実際の係数による資料を基本にしての狂いのない経営の樹立であった。

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もともと私は楽天家の方で、ものごとにあまりいつまでも拘泥してくよくよする性質ではない。忘れっぽいし、いつも明るく笑っていたい人間だ。

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現在会社は5つの蓄積を社是として実践している。「信用」「資本」「奉仕」「人材」「取引先」以上5つの蓄積である。私たちは5つの貯蓄の精神を基盤にしてその実践を身近い現実のものに見て、今日から明日へと自分たちの周りをさらに充実していきたいものである。

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昔、坂田さん(丁稚奉公先の工場)にいたとき、縁日の夜店でものを売って以来、シャープペンシルの外交など過去の販売経験は、私にとって力強い自信となっていた。

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私は性急な人間で、よく着物を裏返しに着て、自分で気が付かないことがあるのだが、寝間着のまま帯もしないで朝の工場で金具をいじって食事も忘れていた。

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主人の坂田芳松さんは昔かたぎの生粋の江戸っ子で、人情にも厚い人であった。私は社会の第一歩で、こうした人に会ったことは実に幸せなことで、何ものにも代えがたい収穫だった。逆境にあった私が、万一ここでも冷たい仕打ちをされていたら、果たしてどうであったろう。私は終生この主人から受けた情義を忘れることはできない。

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事業経営は不況のときに伸びよといわれている。それは不景気のときに屈することなく、次に来る好機に伸びていく準備をすることだと思う。景気の波に乗ることは誰しも可能である。しかしそのときにすでに危険をはらんでいることも忘れてはならない。

早川徳次 - はやかわ とくじ

我らの事業の完成は決して単なる個人の野心や自己満足だけでいいわけはない。事業の公共性という点から私は事業達成の目標は、より良く、より高い社会への奉仕と感謝の実行であると信じたいのである。

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関東大震災に出くわしてぺしゃんこになった私は、それまでいい気になって強がっていた鼻っ柱がいっぺんにどこかへ吹っ飛んでいった感じがした。見渡す限りあたりは廃墟である。文明は一瞬のうちに没落したように見えていた。自分の事業復興の目鼻も到底早急には立ちそうもなかった。

早川徳次 - はやかわ とくじ

私は嘘をつかないこと、他人様に迷惑をかけないことを主義としている。また世間と多くの人たちから有形無形の恩恵を受けて生活していることに対する大きな感謝と同時にそのお返しを念願としている。

早川徳次 - はやかわ とくじ

私は天災のためとはいえ、一度は東京の事業につまずきもした。また、血涙のにじむような経営苦にあえいだことも一再ならずあった。そして自身は生死の巷(ちまた)をさまよい、肉親の何人かを不慮の厄災に失っている。しかし、現在の私が、広く社会と諸々の人たちから数え切れぬほどの恩恵を受けて事業一筋に生きていける幸福を思うと、ひとしお感謝の念が湧いてくるのである。