岡本太郎の名言一覧|世界の偉人たちの名言・格言~成功者の言葉

岡本太郎|67件。

岡本太郎

人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう。

岡本太郎

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ。

岡本太郎

人間は精神が拡がるときと、とじこもるときが必ずある。強烈にとじこもりがちな人ほど逆にひろがるときがくる。

岡本太郎

人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。

岡本太郎

友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる。

岡本太郎

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ。

岡本太郎

気まぐれでも、何でもかまわない。ふと惹かれるものがあったら、計画性を考えないで、パッと、何でもいいから、そのときやりたいことに手を出してみるといい。不思議なもので、自分が求めているときには、それにこたえてくれるものが自然にわかるものだ。

岡本太郎

下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか。

岡本太郎

むかしの夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない。

岡本太郎

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ。

岡本太郎

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない。

岡本太郎

きみはあなた自身を創造していると思いなさい。

岡本 太郎(おかもと たろう、1911年(明治44年)2月26日 - 1996年(平成8年)1月7日)は、日本の芸術家。血液型はO型。 1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも交流(ただし合流はしていない)した。第二次世界大戦後、日本で積極的に絵画・立体作品を制作するかたわら、縄文土器論や沖縄文化論を発表するなど文筆活動も行い、雑誌やテレビなどのメディアにも1950年代から積極的に出演した。 少年時代 太郎は神奈川県橘樹郡高津村大字二子(現・神奈川県川崎市高津区二子)で、漫画家の岡本一平、歌人で作家・かの子との間に長男として生まれる。父方の祖父は書家の岡本可亭であり、北大路魯山人の師匠であった。 父・一平は朝日新聞で"漫画漫文"という独自のスタイルで人気を博し、「宰相の名は知らぬが、岡本一平なら知っている」と言われるほど有名になるが、付き合いのため収入のほとんどを使ってしまうほどの放蕩ぶりで、家の電気を止められてしまうこともあった。

川崎市岡本太郎美術館(かわさきしおかもとたろうびじゅつかん)は、神奈川県川崎市多摩区にある市立の美術館。芸術家、岡本太郎より川崎市に寄贈された主要作品1779点を保有・展示している。生田緑地の敷地内にある。 本施設の建設に際しては自然保護活動家たちによる執拗な反対運動が展開され、岡本の生前の開館には至らなかった。岡本の死は1996年であるが、翌1997年には動物を原告とした「生田緑地里山・自然の権利訴訟」が提訴された。岡本の死に際して当時の川崎市長は、生前の開館にこぎつけられなかった無念のあまり悔し涙を流したとされる。 利用案内 開館時間 9:30 - 17:00(入館は16:30まで)休館日 月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日(土日にあたる場合を除く)、年末年始、その他展示替えのための臨時休館あり観覧料 企画展 展覧会によって異なる。