小泉純一郎の名言一覧|世界の偉人たちの名言・格言~成功者の言葉

小泉純一郎|23件。

小泉純一郎 - こいずみ じゅんいちろう

小泉は駄目だ、というのは構わない。でも日本は駄目だ、というのは許さない。

小泉純一郎 - こいずみ じゅんいちろう

おれが首相の時なんか全部暴風雨だった。

小泉純一郎 - こいずみ じゅんいちろう

格差が出ることが悪いとは思わない。成功者をねたんだり、能力ある者の足を引っ張ったりする風潮を慎まないと社会は発展しない。

小泉純一郎 - こいずみ じゅんいちろう

この程度の公約を守れない事は大した事ではない。

小泉純一郎 - こいずみ じゅんいちろう

人は他に頼らず、何事も独力で行うことによって自分の尊厳を保つべきなのです。そして、そうした一人一人が独立した生計を立てることによって、一国というものも独立するのです。つまり、一身独立して一国が独立する、ということです。そのためには、まず努力・向上心によって自らの身を立てていかなくてはなりません。

小泉純一郎 - こいずみ じゅんいちろう

「必要は発明の母」という言葉があります。必要に迫られると、様々な能力を発揮する、様々な新しい製品を開発する。まさに、日本人の国民性を表したような言葉です。日本人は、瀬戸際に立たされたとき、そういった努力をして力を発揮すると私は確信しています。

小泉純一郎 - こいずみ じゅんいちろう

首相に就任したら8月15日の戦没慰霊祭の日に靖国神社を、いかなる批判があろうと必ず参拝します。

小泉純一郎 - こいずみ じゅんいちろう

「勝ち組」「負け組」はいいけれど、「待ち組」は問題。

小泉純一郎 - こいずみ じゅんいちろう

「原発ゼロ」になるのが、30年後なのか、50年後なのか、それとも100年後なのか。その点に関しては議論の余地があると思っています。急速に原発ゼロを推し進めることで、日本の経済成長に歪みを生じさせてしまうようであれば、ある程度の時間をかけて徐々に減らしていく方法もあるでしょう。何年後に原発をゼロにするのか、ということに関しては、私はあまりこだわっていませんし、こだわるべきでもないでしょう。しかし、将来的に原発をゼロにしていくという方針に関しては、早い段階で固めたほうがいいと思っています。そのほうが、代替エネルギーの開発にも早く着手することができますし、原子力発電に依存しない体制に国民も企業も早く転換していくことができるでしょう。

小泉純一郎 - こいずみ じゅんいちろう

私が、小泉が、自民党をぶっ潰します!

小泉純一郎 - こいずみ じゅんいちろう

私が総裁になれば必ず自民党を変え、日本の政治を変える。

小泉純一郎 - こいずみ じゅんいちろう

失うことを恐れてはしがらみから抜けられない。しかし捨て身で臨めば何でもできる。

小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう、1942年〈昭和17年〉1月8日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(12期)、厚生大臣(第69・70・81代)、郵政大臣(第55代)、内閣総理大臣(第87・88・89代)、外務大臣(第132代)、農林水産大臣(第38代)、自由民主党総裁(第20代)などを歴任した。 福田赳夫の秘書を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙で初当選し、以来12期連続当選。自由民主党では清和会(福田派、安倍派、三塚派、森派)に所属した。また、山崎拓や加藤紘一と「YKK」を結成し、経世会支配からの脱却や党の世代交代を訴え「グループ・新世紀」を旗揚げした。 竹下政権にて厚生大臣として初入閣、宇野政権、橋本政権でも厚生大臣を務め、宮澤政権では郵政大臣を務めた。森喜朗の後任として自由民主党総裁に選出され、2001年(平成13年)4月に内閣総理大臣に就任した。内閣総理大臣の在任期間は1980日で、第二次世界大戦後の内閣総理大臣としては佐藤栄作、吉田茂に次ぐ第3位。