太宰治の名言一覧|世界の偉人たちの名言・格言~成功者の言葉

太宰治|39件。

太宰 治(だざい おさむ、1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日)は、日本の小説家である。本名、津島 修治(つしま しゅうじ)。1936年(昭和11年)に最初の作品集『晩年』を刊行し、1948年(昭和23年)に山崎富栄と共に玉川上水で入水自殺を完遂させた。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』。その作風から坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに新戯作派、無頼派と称された。 幼年時代 青森県北津軽郡金木村(後の金木町、現在の五所川原市)に、県下有数の大地主である父津島源右衛門(1871年 - 1923年)と母タ子(たね、1873年 - 1942年)の六男として生まれた。両親にいる11人の子女のうちの10番目。父・源右衛門は木造村の豪農松木家からの婿養子で県会議員、衆議院議員、多額納税による貴族院議員等をつとめた地元の名士。津島家は「金木の殿様」とも呼ばれていた。父は仕事で多忙な日々を送り、母は病弱だったので、太宰自身は乳母らによって育てられた。

太宰治賞(だざいおさむしょう)は、三鷹市と筑摩書房が共同で主催する公募新人文学賞である。 第1回から第14回までは筑摩書房のみで行っていたが業績悪化に伴い休止、太宰治没50年の1999年より現在の形となり、年1回発表されている。受賞は選考委員の合議によって決定され、受賞者には正賞として記念品、副賞として100万円(2008年実績)が授与される。 選考委員は加藤典洋・荒川洋治・奥泉光・中島京子の4名。締め切りは12月10日。 受賞作一覧 年は受賞作の発表の年。特記がなければ、初刊は筑摩書房、文庫はちくま文庫刊。 第1回から第14回まで(筑摩書房主催) 第15回から(筑摩書房・三鷹市共同主催) 選考委員 第1回 - 石川淳、井伏鱒二、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎  第7回 - 臼井、唐木、河上、寺田透、中村光夫、吉行淳之介 第10回 - 井上光晴、臼井、柴田翔、中村、埴谷雄高、吉行 第13回 - 井上光晴、臼井、柴田、埴谷、吉行 第14回 - 井上光晴、臼井、柴田、埴谷、吉行,野間宏 第15回から第19回 - 加藤典洋、柴田翔、高井有一、吉村昭 第20回から第24回 - 小川洋子、加藤典洋、柴田翔、高井有一 第25回から第30回 - 荒川洋治、小川洋子、加藤典洋、三浦しをん 第31回 荒川、小川、加藤 第32回から 荒川、加藤、奥泉光、中島京子 脚注 注釈 出典 関連項目 文学賞の一覧 外部リンク 太宰治賞。

太宰治記念館 「斜陽館」(だざいおさむきねんかん「しゃようかん」)は、青森県五所川原市にある小説家太宰治の生家。現在は、五所川原市太宰治記念館「斜陽館」として、五所川原市立の施設となっている。また、近代和風住宅の代表例として2004年(平成16年)国の重要文化財に指定されている。 建物は1907年に太宰の父で衆議院議員であった津島源右衛門によって立てられたもの。当時の住所は青森県北津軽郡金木村。 太宰が中学進学に伴い1923年(大正12年)に青森市へ転居するまでこの家で暮らした。東京へ出た後、共産党の非合法活動に協力したり、何度か心中を繰り返したため郷里から勘当された。勘気を許されてこの家に戻る事が許されたのは1942年(昭和17年)に太宰の母タネが亡くなった後である。その後1945年(昭和20年)、太宰は戦況悪化に伴い妻子を連れて疎開。翌年までこの地にとどまり、文筆活動を続ける。小説『思ひ出』や『津軽』等には太宰がこの家に対して抱いたイメージが記されている。 太宰の死後1950年(昭和25年)に津島家はこの家を売却。

太宰治 - だざい おさむだざい おさむ

一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。明日のことを思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん。きょう一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮したい。

太宰治 - だざい おさむ

私は、ひとの恋愛談を聞く事は、あまり好きでない。恋愛談には、かならず、どこかに言い繕いがあるからである。

太宰治 - だざい おさむ

疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どっちにしたって引き返すことは出来ないんだ。

太宰治 - だざい おさむ

恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意志だと思う。

太宰治 - だざい おさむ

笑われて 笑われて つよくなる

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愛することは、いのちがけだよ。甘いとは思わない。

太宰治 - だざい おさむ

てれくさくて言えないというのは、つまりは自分を大事にしているからだ。

太宰治 - だざい おさむ

僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。

太宰治 - だざい おさむ

ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは人間だし、花を愛するのも人間だもの。

太宰治 - だざい おさむ

不良とは、優しさの事ではないかしら。

太宰治 - だざい おさむ

人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。

太宰治 - だざい おさむ

学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。