大久保利通の名言一覧|世界の偉人たちの名言・格言~成功者の言葉

大久保利通|10件。

大久保利通 - おおくぼ としみち

おはんの死と共に、新しか日本がうまれる。強か日本が…

大久保利通 - おおくぼ としみち

彼は彼、我は我でいこうよ

大久保利通 - おおくぼ としみち

今日のままにして瓦解せんよりは、むしろ大英断に出て、瓦解いたしたらんにしかず

大久保利通 - おおくぼ としみち

国家創業の折には、難事は常に起こるものである。そこに自分ひとりでも国家を維持するほどの器がなければ、つらさや苦しみを耐え忍んで、志を成すことなど、できはしない。

大久保利通 - おおくぼ としみち

この難を逃げ候こと本懐にあらず

大久保利通 - おおくぼ としみち

ようやく戦乱も収まって平和になった。よって維新の精神を貫徹することにするが、それには30年の時期が要る。それを仮に三分割すると、明治元年から10年までの第一期は戦乱が多く創業の時期であった。明治11年から20年までの第二期は内治を整え、民産を興す即ち建設の時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。明治21年から30年までの第三期は後進の賢者に譲り、発展を待つ時期だ。

大久保利通 - おおくぼ としみち

自分ほど西郷隆盛を知っている者はいない

大久保利通 - おおくぼ としみち

目的を達成する為には人間対人間のうじうじした関係に沈みこんでいたら物事は進まない。そういうものを振り切って、前に進む。

大久保 利通(おおくぼ としみち、文政13年8月10日(1830年9月26日) - 明治11年(1878年)5月14日)は、日本の武士(薩摩藩士)、政治家。位階勲等は贈従一位勲一等。 明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。また「維新の十傑」の1人でもある。 生涯 生い立ち 文政13年8月10日(1830年9月26日)、薩摩国鹿児島城下高麗町(現・鹿児島県鹿児島市高麗町)に、琉球館附役の薩摩藩士・大久保利世と皆吉鳳徳のニ女・福の長男として生まれる。幼名は正袈裟(しょうけさ)。大久保家の家格は御小姓与と呼ばれる身分で下級藩士であった。幼少期に加治屋町(下加治屋町方限)に移住し、下加治屋町の郷中や藩校造士館で、西郷隆盛や税所篤、吉井友実、海江田信義らと共に学問を学び親友・同志となった。武術は胃が弱かったため得意ではなかったが、討論や読書などの学問は郷中のなかで抜きん出ていたという。 天保15年(1844年)、元服し、通称を正助(しょうすけ)、諱は利済と名乗るが、後に改名する。