中村天風の名言一覧|世界の偉人たちの名言・格言~成功者の言葉

中村天風|72件。

中村 天風(なかむら てんぷう、1876年7月30日 - 1968年12月1日)は日本の思想家、実業家。日本初のヨーガ行者で、天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は中村三郎(なかむらさぶろう)。 「玄洋社の豹」 1876年(明治9年)、大蔵省初代抄紙局長の中村祐興の息子として豊島郡王子村(現東京都北区王子)で出生。父祐興は旧柳川藩士で、中村家は柳川藩藩主である立花家と遠縁にあたる。王子村や本郷で幼少を過ごした後、福岡市の親戚の家に預けられ、修猷館中学(現・修猷館高校)に入学。また立花家伝の六歳の時より家伝の随変流の修業を始める。随変流は立花宗茂を流祖とし戦国時代に成立した流派で、剣術と抜刀術をもつ。天風は後に随変流を極めることとなる。ちなみに、「天風」という号は天風が最も得意とした随変流抜刀術の「天風」(あまつかぜ)という型からとられたものである。 幼少期より官舎の近くに住んでいた英国人に語学を習い、修猷館ではオール英語の授業を行っていたため語学に堪能となり、また柔道部のエースとして文武両道の活躍をするが、練習試合に惨敗した熊本済々黌生に闇討ちされ、その復讐を行う過程で出刃包丁を抜いて飛びかかってきた生徒を刺殺してしまう。

中村天風 - なかむら てんぷう

偉くなる人とそうならない人と、差が出てくるかっていうと、同じ話を聴いても、聴き方、受け取り方が全然違うからなんです。受け取ったことを自分の人生に、どう応用していくかということだけの差なんです。

中村天風 - なかむら てんぷう

どんな場合にも「こまった」「弱った」「情けない」「腹がたつ」「助けてくれ」なんていう消極的な言葉を、絶対に口にしないことです。

中村天風 - なかむら てんぷう

どんな些細なことでも感謝を先にして喜びで迎えたなら、黄金花咲く爛漫たる喜びの世界になる。

中村天風 - なかむら てんぷう

自分の成功や幸福のことよりも、他人の成功や幸福を願い、かつそれに向けてまい進していけば、いつの間にか、自分も成功と幸福を掌中におさめることが出来るのです。

中村天風 - なかむら てんぷう

どんな名医や名薬といえども、楽しい、おもしろい、うれしいというものに勝る効果は絶対にない。

中村天風 - なかむら てんぷう

人としてこの世に生まれて一番大切なことは、人に好かれる人間になることだよ。

中村天風 - なかむら てんぷう

一切の人生の果実は、その人が蒔いた種子のとおり表現してくる。

中村天風 - なかむら てんぷう

持たなくてもいい重い荷物を、誰に頼まれもしないのに一生懸命ぶらさげていないか。

中村天風 - なかむら てんぷう

やれ運命がつまらないの、人生がつまらないのって人は、その考え方がつまらないんです。いいですか、幸福も健康も成功も、ほかにあるんじゃないですぜ。あなた方自身のなかにあるんだぜ。

中村天風 - なかむら てんぷう

ぼやぼやしてちゃいけないよ。人がつくった衛星が宇宙を飛んでる時代に、縁起がどうのこうの、日の良し悪しや占いが迷信がなんて、みんな自分自身に、消極的な暗示をかけているんですよ。

中村天風 - なかむら てんぷう

信念、それは人生を動かす羅針盤のごとき尊いものである。従って信念なき人生は、ちょうど長途の航海の出来ないボロ船のようなものである。

中村天風 - なかむら てんぷう

凡人は敵対し、優れし人は和合する。ケンカすることより、仲良くすることをまず考えなきゃだめですよ。