上杉謙信の名言一覧|世界の偉人たちの名言・格言~成功者の言葉

上杉謙信|12件。

上杉謙信 - うえすぎ けんしん

家訓16ヶ条「宝在心」
一、心に物なき時は心広く体泰なり
一、心に我儘なき時は愛敬失わず
一、心に欲なき時は義理を行う
一、心に私なき時は疑うことなし
一、心に驕りなき時は人を教う
一、心に誤りなき時は人を畏れず
一、心に邪見なき時は人を育つる
一、心に貪りなき時は人に諂うことなし
一、心に怒りなき時は言葉和らかなり
一、心に堪忍ある時は事を調う
一、心に曇りなき時は心静かなり
一、心に勇みある時は悔やむことなし
一、心賤しからざる時は願い好まず
一、心に孝行ある時は忠節厚し
一、心に自慢なき時は人の善を知り
一、心に迷いなき時は人を咎めず

上杉謙信 - うえすぎ けんしん

人の上に立つ対象となるべき人間の一言は、深き思慮をもってなすべきだ。軽率なことは言ってはならぬ。

上杉謙信 - うえすぎ けんしん

我は兵を以て戦ひを決せん。塩を以て敵を屈せしむる事をせじ。

上杉謙信 - うえすぎ けんしん

武士は馬を我が足と思い、弓鎗を左右の手と定め、敵を撃つ刃は己の心と考え、常に武道をたしなむ事が、本意の核心である。

上杉謙信 - うえすぎ けんしん

生を必するものは死し、死を必するものは生く。

上杉謙信 - うえすぎ けんしん

人の落ち目を見て攻め取るは、本意ならぬことなり。

上杉謙信 - うえすぎ けんしん

極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし

上杉謙信 - うえすぎ けんしん

我が命のある間、国家を裏切る者を平らげ、諸国を一つに帰して、貧困に陥った人々を安住ならしめる他に希望はない。もし謙信の運が弱く、この志が空しいものならば、速やかに病死を賜るべし。

上杉謙信 - うえすぎ けんしん

大事なのは義理の二字である。死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である。

上杉謙信 - うえすぎ けんしん

信玄の兵法に、のちの勝ちを大切にするのは、国を多くとりたいという気持ちからである。自分は国を取る考えはなく、のちの勝ちも考えない。さしあたっての一戦に勝つことを心掛けている。

上杉謙信 - うえすぎ けんしん

戦場の働きは武士として当然のことだ。戦場の働きばかりで知行を多く与え、人の長としてはならない。

上杉謙信 - うえすぎ けんしん

昔時の名将は、暑日に扇をとらず、寒日に衣をかさねず、雨の日に笠を用いずして、士卒への礼とす。

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の武将・戦国大名。後世、越後の虎や越後の龍、軍神と称される。 上杉家の下で越後国の守護代を務めた長尾氏出身で、初名の長尾 景虎(ながお かげとら)でもよく知られている。兄である晴景の養子となって長尾氏の家督を継いだ。のちに関東管領上杉憲政から山内上杉氏の家督を譲られるとともに「政」の1字を与えられて上杉 政虎(うえすぎ まさとら)と改名し、それまで上杉氏が世襲していた室町幕府の重職関東管領をも引き継いだ。後に室町幕府の将軍・足利義輝より偏諱(「輝」の1字)を受けて、最終的には上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)と名乗った。謙信は、さらに後に称した法号である。 内乱続きであった越後国を統一し、産業を振興して国を繁栄させた。他国から救援を要請されると秩序回復のために幾度となく出兵し、49年の生涯の中で武田信玄、北条氏康、織田信長、越中一向一揆、蘆名盛氏、能登畠山氏、佐野昌綱、神保長職、椎名康胤らと合戦を繰り広げた。

『上杉謙信』より : 上杉謙信女性説(うえすぎけんしんじょせいせつ)は、昭和43年(1968年)に小説家八切止夫が提唱した越後国の戦国大名上杉謙信が実は女性であったのではないかとする仮説である。 上杉謙信にまつわる逸話、伝説(不犯伝説など)、俗説は数多く存在するが、女性説もその俗説のひとつで、当項目では八切説以外あるはそれに触発された創作作品等も紹介する。 歴史小説家である八切止夫は、スペイン内戦時には城砦として使用されていたトレドの修道院から、15世紀から16世紀の舟乗りや宣教師による日本についての報告書を発見した。その中にあった、ゴンザレスという船乗りが国王に提出した、1571年から1580年にかけての佐渡金山に関する報告書に上杉景勝の叔母 (tia) という言葉を見つけた。八切はこの叔母を上杉謙信と解釈し、上杉謙信の女性説を唱えた。八切は同説に基づき1968年の『読売新聞』夕刊に小説『上杉謙信は男か女か』の連載を開始した。この八切による女性説は日本史学者桑田忠親などによって厳しく批判されている。史料批判の甘さや当該時代背景の解釈での問題点が指摘されており、現在では八切の提言のいくつかは実証主義に基づいた女性説の根拠となりえない。