レフ・トルストイの名言一覧|世界の偉人たちの名言・格言~成功者の言葉

レフ・トルストイ|77件。

レフ・トルストイ

誰もが世界を変えたいと思うが、誰も自分自身を変えようとは思わない。

Everyone thinks of changing the world, but no one thinks of changing himself.

レフ・トルストイ

我々が知りうる唯一のことは、我々は何も知らないということである。そしてこれが人間の知恵が飛翔しうる最高の高みなのだ。

We can know only that we know nothing. And that is the highest degree of human wisdom.

レフ・トルストイ

真実だけでできていたなら、歴史はすばらしいものだったろうに。

History would be a wonderful thing – if it were only true.

レフ・トルストイ

子羊を食らう前に泣く狼と、泣かない狼では、どちらがより酷いだろうか。

Which is worse? the wolf who cries before eating the lamb or the wolf who does not.

レフ・トルストイ

愛は生命だ。私が理解するものすべてを、私はそれを愛するがゆえに理解する。

Love is life. All, everything that I understand, I understand only because I love.

レフ・トルストイ

もし苦しみがなかったら、人間は自分の限界を知らなかったろうし、自分というものを知らなかったろう。

If there was no suffering, man would not know his limits, would not know himself.

レフ・トルストイ

人生の唯一の意義は、人のために生きることである。

The sole meaning of life is to serve humanity.

レフ・トルストイ

十人十色というからには、心の数だけ恋の種類があってもいいんじゃないかしら。

I think… if it is true that there are as many minds as there are heads, then there are as many kinds of love as there are hearts.

レフ・トルストイ

美女が女神だと思うなんて、なんという奇妙な勘違いだろう。

What a strange illusion it is to suppose that beauty is goodness.

レフ・トルストイ

一生涯ひとりの異性を愛することは、一本の蝋燭が生涯燃えることと同じである。

To say that you can love one person all your life is just like saying that one candle will continue burning as long as you live.

レフ・トルストイ

幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である。

All happy families resemble one another; every unhappy family is unhappy in its own way.

レフ・トルストイ

幸せになりたいのなら、なりなさい。

If you want to be happy, be.

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(露:Ru-Lev Nikolayevich Tolstoy.ogg Лев Николаевич Толстой, ラテン文字表記:Lev Nikolayevich Tolstoy, 1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕)は、帝政ロシアの小説家、思想家である。フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並んで19世紀ロシア文学を代表する文豪。英語では名はレオとされる。 代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者としても知られる。 生涯 トゥーラ郊外の豊かな自然に恵まれたヤースナヤ・ポリャーナで、伯爵家の四男として生まれる。祖先は父方も母方も歴代の皇帝に仕えた由緒ある貴族だった。富裕な家庭ではあったが、1830年、2歳のとき母親を亡くす。1837年1月、9歳のときに父親の仕事の都合で旧首都であるモスクワへと転居するが、同年6月に父親をなくし、祖母に引き取られたがその祖母も翌1838年に他界、父親の妹が後見人となったが彼女もしばらくして他界し、最終的にはカザンに住む叔母に引き取られ、1841年にはカザンへと転居した。