歌番号65-歌人:相模

小倉百人一首

上の句

恨みわび うらみわび
ほさぬ袖だに ほさぬそでだに
あるものを あるものを

下の句

恋に朽ちなむ こいにくちなん
名こそ惜しけれ なこそおしけれ

恨みわび ほさぬ袖だに あるものを

恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ

歌人

相模 さがみ

音声


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相模とは

相模(さがみ) 相模国 - かつての令制国の一つ(さがみのくに)。 相模原市 - 神奈川県にある政令指定都市。 相模原神奈川県相模原市中央区にある地名。 相模 (歌人) - 平安中期の女流歌人。 三宮相模 - 平安後期の女流歌人。輔仁親王家女房。 内裏相模 - 鎌倉初期の女流歌人。土御門天皇内裏女房。 相模 (戦艦) - 旧日本海軍の戦艦。もとはロシア帝国海軍の戦艦ペレスウェート。 自動車のナンバープレートに表記される国土交通省運輸局記号。神奈川県愛甲郡愛川町に所在する「関東運輸局神奈川運輸支局相模自動車検査登録事務所」を示す。 相模川 - 山梨県を源流とし神奈川県中部を縦断する一級河川。 相模湾 - 神奈川県から静岡県東部を範囲とする海。 さがみ (補給艦) - 海上自衛隊の旧補給艦。 列車・鉄道会社・駅名 相模鉄道 - 神奈川県を地盤とする大手私鉄。相鉄ホールディングスの子会社。 さがみ野駅 - 神奈川県海老名市東柏ケ谷にある、相模鉄道本線の駅 相模線 - 神奈川県茅ヶ崎市の茅ヶ崎駅と相模原市緑区の橋本駅を結ぶJR東日本の鉄道路線。

相模とは

相模原市(さがみはらし)は、神奈川県北部にある政令指定都市。緑区、中央区、南区の3区で構成される。 相模原市は、神奈川県内では横浜市、川崎市についで第3位の人口規模を擁する。2007年3月11日の2町の編入合併により人口は70万人を超え、全国の市で第18位である。相模原市が市制施行されたのは1954年(昭和29年)だが、戦後に純粋に市制施行された都市の中では最も人口が多い(さいたま市、北九州市が誕生したのは戦後だが、これら2市は複数の自治体の新設合併により誕生した都市であり、合併時に戦前に市制施行された都市が含まれる)。2010年3月末までの政令指定都市移行と、首都圏サミットへの参加を目指していたが、2009年10月2日に原口一博総務大臣が必要な作業に入るよう指示し、その後、10月23日の閣議で相模原市を2010年4月1日を以て政令指定都市に昇格させることが決定された。

相模とは

『相模原市』より : 相模原(さがみはら)は、神奈川県相模原市中央区にある町名である。また、同市内のJR東日本横浜線相模原駅周辺の漠然とした地域名として用いることもある。 JR横浜線相模原駅南口前を中心としてJR横浜線と国道16号の間に広がる区域であり、一丁目〜八丁目からなる。1964年(昭和39年)5月1日に相模原市で最初に実施された住居表示により大字小山および大字清兵衛新田の各一部から成立した。 相模原駅周辺には銀行や企業の事務所などが集まり、市役所が所在する中央地区とともに相模原市の中心業務地区となっている。駅周辺には多くの飲食店が集積し、1970〜80年代には大型商業施設が2店舗(ダイエーおよび忠実屋)進出するなど、同市の中心商業地となっているが、1990年代以降に再開発が行われた相模大野や橋本の成長によってその地位は低下している。 区域内には江戸時代末期の新田開発によって開かれた清兵衛新田への入植者の集落が含まれるが、現在は全域が市街地化して農地は消滅しており、農村的景観はほとんど失われている。

相模とは

相模鉄道株式会社(さがみてつどう、英: Sagami Railway Co.,Ltd.)は、神奈川県東部を基盤とする鉄道事業者である。略称は相鉄(そうてつ、SOTETSU)。本社は神奈川県横浜市西区北幸二丁目の相鉄本社ビルに所在。 会社概要 相鉄グループの中核企業であり、鉄道事業を専門に行っている会社で大手私鉄を構成する1社である。かつては経営の多角化を推し進め、バス事業、不動産事業などを自社で行っていたが、経営効率化のために1990年代後半から2000年代半ばにかけてこれらを相次いで分社化して組織のスリム化を図った。さらに2009年(平成21年)9月16日付で旧・相模鉄道を相鉄グループの統括だけを目的とする相鉄ホールディングスに商号を変更、鉄道事業はこれに先立ち、休眠状態だった完全子会社の株式会社大関を2009年1月22日付で業態変更の上、相鉄準備会社株式会社に商号を変更し宅建業などの許認可を取得させた上で同年9月16日に旧・相模鉄道の鉄道事業を承継、商号を相模鉄道株式会社に変更するかたちで分社した。

相模とは

『相模鉄道』より : 相模鉄道株式会社(さがみてつどう、英: Sagami Railway Co.,Ltd.)は、神奈川県東部を基盤とする鉄道事業者である。略称は相鉄(そうてつ、SOTETSU)。本社は神奈川県横浜市西区北幸二丁目の相鉄本社ビルに所在。 会社概要 相鉄グループの中核企業であり、鉄道事業を専門に行っている会社で大手私鉄を構成する1社である。かつては経営の多角化を推し進め、バス事業、不動産事業などを自社で行っていたが、経営効率化のために1990年代後半から2000年代半ばにかけてこれらを相次いで分社化して組織のスリム化を図った。さらに2009年(平成21年)9月16日付で旧・相模鉄道を相鉄グループの統括だけを目的とする相鉄ホールディングスに商号を変更、鉄道事業はこれに先立ち、休眠状態だった完全子会社の株式会社大関を2009年1月22日付で業態変更の上、相鉄準備会社株式会社に商号を変更し宅建業などの許認可を取得させた上で同年9月16日に旧・相模鉄道の鉄道事業を承継、商号を相模鉄道株式会社に変更するかたちで分社した。

相模とは

『日本の電気式気動車』より : 電気式気動車(でんきしききどうしゃ)は、自車に搭載したディーゼルエンジン等の内燃機関で発電機を駆動し、その発生電力で台車の電動機を駆動して走行する気動車である。「ガス・エレクトリック」、あるいは、「ディーゼル・エレクトリック方式」とも呼ばれる。 日本の鉄道は狭軌が主体で、線路や路盤も脆弱であったことから、重量が大きくなりがちな電気式気動車の導入には不利で、その類例はきわめて少なく、1950年代までで廃れていた。しかし、近年の技術開発によりハイブリッド型気動車という新しい形態で復活し、再認識されるようになっている。 機械式気動車の問題 日本の気動車は、1920年代に登場して以来、ローカル線の小規模輸送を中心に使用されてきた。 このため、複数車輛の連結運転に必要とされる総括制御(リモートコントロール)技術はそれほど必要とされず、変速装置には総括制御不能だが構造が簡易で済む「機械式」が用いられた。 機械式気動車で2両編成以上を組む場合は、各車両に運転士を一人ずつ乗せ、先頭車運転士が鳴らす汽笛に合わせて、後続車運転士が変速やスロットル操作を行っていた。

相模とは

相模線(さがみせん)は、神奈川県茅ヶ崎市の茅ケ崎駅と相模原市緑区の橋本駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。 東海道本線の茅ケ崎駅から相模川に沿って北へ向かう路線である。元は相模鉄道(法人としては現在の相鉄ホールディングス)の路線であったが、東海道本線と中央本線とを結ぶバイパス路線として後に国有化された。過去には支線として、1931年に廃止された寒川駅から川寒川駅への支線(通称:川寒川支線)と、1984年に廃止された寒川駅から西寒川方面への支線(通称:西寒川支線、寒川支線。「西寒川駅」の記事も参照)があった。 全線が旅客営業規則の定める「東京近郊区間」、およびIC乗車カード「Suica」の首都圏エリアに含まれている。旅客案内や車体に使用されるラインカラーは相模川をイメージした濃い水色(■)である。 地元自治体から相模線複線化の要望があるが、莫大な費用がかかることが予想されることを理由にJR東日本からの具体的な動きはない。

相模とは

『京王相模原線』より : 相模原線(さがみはらせん)は、東京都調布市の調布駅から神奈川県相模原市緑区の橋本駅までを結ぶ、京王電鉄の鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はKO。KO 京王電鉄の路線では唯一、神奈川県内も沿線とする路線である。多摩ニュータウンへのアクセス路線の一つでもある。 路線データ 路線距離:22.6km 軌間:1372mm 複線区間:全線 電化区間:全線(直流1500V) 保安装置:京王ATC、速度制御式 最高速度:110km/h 沿線概況 調布 - 京王よみうりランド 調布駅を出るとすぐに左に急カーブを切り、南向きに変わる。品川通りを過ぎると地下から一気に高架に駆け上がり、京王多摩川駅となる。この先で多摩川を渡り、川崎市に入る。南武線を跨ぐところに京王稲田堤駅がある。駅構内で大きく右カーブし、西に向きを変える。多摩丘陵の麓に沿うように進み、稲城市に入って京王よみうりランド駅となる。 京王よみうりランド - 京王多摩センター そのまま西進し多摩丘陵に差し掛かるところで稲城駅にとなり、駅構内で大きく左にカーブして南西に向きを変える。

相模とは

『相鉄本線』より : 本線(ほんせん)は、神奈川県横浜市西区にある横浜駅と同県海老名市にある海老名駅を結ぶ、相模鉄道の鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はSO。SO 横浜市中心部に近い交通ターミナル横浜駅と横浜市内陸部・神奈川県県央地域(大和市・海老名市)を結ぶ通勤・生活路線である。もともとは相模川の砂利を運ぶ貨物輸送のために海老名側から建設されたが、現在の起点は横浜駅であり海老名方面に向かう列車を「下り」としている。 横浜 - 二俣川間には二俣川駅で分岐するいずみ野線の列車が乗り入れる。路線の最高速度は100km/hだが、この区間は1駅ごとの距離が短いうえ連続急勾配や曲線が多く、直線区間が少ないために75km/h程度の箇所が多い。二俣川 - 海老名間では逆に1駅ごとの距離が長くなり、比較的直線区間も多いので列車は90km/h以上で走行する箇所が多い。 自社のいずみ野線には乗り入れるものの、現在は他社の路線への乗り入れは無い。かつては終点海老名駅より小田急小田原線に入り本厚木駅まで乗り入れていたほか、歴史的経緯から現在のJR相模線とも縁が深く、貨物や旅客列車が乗り入れていたことがある(現在も相鉄向けの甲種車両輸送列車は相模線経由で運転されている)。

相模とは

相模大野駅(さがみおおのえき)は、神奈川県相模原市南区相模大野三丁目にある、小田急電鉄の駅である。駅番号はOH 28。 管区長及び駅長所在駅であり、相模大野管区として当駅 - 伊勢原駅間と東林間駅の計10駅を、相模大野管内として当駅、小田急相模原駅と東林間駅を管理している。 1929年(昭和4年)4月1日 - 現在地より0.2km小田原寄りに大野信号所開設。 1938年(昭和13年)4月1日 - 大野信号所が駅に昇格する形で通信学校駅として開業。「直通」と急行の停車駅となる。なお、各駅停車は、新宿駅 - 稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅)間のみの運行であり、当駅までの運行はなかった。 1941年(昭和16年)1月1日 - 相模大野駅に改称。 1944年(昭和19年)11月 - 戦況悪化に伴い、急行の運行が中止される。 1945年(昭和20年)6月 - 従来、新宿駅 - 稲田登戸駅間のみの運行の各駅停車が全線で運行されることとなり、各駅停車の停車駅となる。

相模とは

相模川(さがみがわ)は、山梨県・神奈川県を流れる相模川水系の本流で、一級河川である。 地理 上流の山梨県では、桂川(かつらがわ)、河口近くの下流では、馬入川(ばにゅうがわ)と呼ばれている。古くは、鮎川(あゆかわ)と呼ばれた。 山梨県南都留郡山中湖村、富士五湖の一つでもある山中湖を水源とする。富士山北麓の水を集めながらまず北西に流れ、富士吉田市で北東に折れる。都留市を経て大月市で流路を東に変える。相模湖と津久井湖(ともに相模原市)という2つのダム湖を経て、ゆるやかに進路を変え、厚木市からは南にまっすぐ下り、神奈川県中部を貫き平塚市・茅ヶ崎市の境付近で相模湾に注ぐ。 都留市より上流では富士山の噴火による噴出物に関連した地形が見られる。大月市付近より下流では河岸段丘が分布し、相模原市緑区東部より下流に相模平野を形成する。左岸には数段の段丘面を持つ相模野台地(相模原台地)が広がり、南に流路を変えた厚木市・座間市よりも下流には自然堤防を伴った沖積平野を発達させている。

相模とは

『相模川』より : 相模川(さがみがわ)は山梨県・神奈川県を流れる相模川水系の本流で、一級河川である。全長109km、流域面積1,680 km²。
上流の山梨県では桂川(かつらがわ)、河口近くの下流では馬入川(ばにゅうがわ)と呼ばれる。古くは鮎川(あゆかわ)と呼ばれた。
山梨県南都留郡山中湖村、富士五湖の一つでもある山中湖を水源とする。湖の標高は981m。
富士山北麓の水を集めながらまず北西に流れ、富士吉田市で北東に折れる。都留市を経て大月市で流路を東に変える。相模湖と津久井湖という二つのダム湖を経て、ゆるやかに進路を変え、厚木市からは南にまっすぐ下り、神奈川県中部を貫き平塚市・茅ヶ崎市の境付近で相模湾に注ぐ。

相模とは

『相模川』より : 相模川(さがみがわ)は山梨県・神奈川県を流れる相模川水系の本流で、一級河川である。全長109km、流域面積1,680 km²。
上流の山梨県では桂川(かつらがわ)、河口近くの下流では馬入川(ばにゅうがわ)と呼ばれる。古くは鮎川(あゆかわ)と呼ばれた。
山梨県南都留郡山中湖村、富士五湖の一つでもある山中湖を水源とする。湖の標高は981m。
富士山北麓の水を集めながらまず北西に流れ、富士吉田市で北東に折れる。都留市を経て大月市で流路を東に変える。相模湖と津久井湖という二つのダム湖を経て、ゆるやかに進路を変え、厚木市からは南にまっすぐ下り、神奈川県中部を貫き平塚市・茅ヶ崎市の境付近で相模湾に注ぐ。

相模とは

相模鉄道の気動車(さがみてつどうのきどうしゃ)は現在の東日本旅客鉄道 JR東日本相模線を開業させた相模鉄道、及び同社神中線となった現在の相鉄本線に相当する路線を開業し、後に同社に合併された神中鉄道(1919年までは神中軌道)で使用された気動車の一覧である。
なお、本項に於いて相模鉄道の表記は、1943年の相模鉄道・神中鉄道合併以前は「相模鉄道」または「相模」、以降は「相鉄」とする。
1932年に導入された日本車輌製造 日本車輌製の半鋼製二軸ガソリンカー。前面は2枚窓の平妻。1・2の2両が在籍した。相模・神中合併を前にした1943年1月、日本軽金属に譲渡され、蒲原工場専用線の通勤輸送用客車となった。
キハ1形と同時に導入した日本車輌製の半鋼製ガソリンカーで、101・102の2両が在籍した。キハ1形とは全長が65cm異なる他はほぼ同形であった。合併後の相鉄にも車籍は引き継がれ、相模線の買収後は神中線に転じたが、1949年に廃車された後、101は寿都鉄道に譲渡され、郵便・荷物合造車ユニ1となっている。

相模とは

消防本部名 相模原市消防局
設置日 1958年1月1日
管轄区域 相模原市
管轄面積 328.84km²
職員定数 719人
消防署数 4
分署数 14
出張所数 2
分遣所数 1
所在地 相模原市中央2-2-15
リンク
相模原市消防局(さがみはらししょうぼうきょく)は、神奈川県相模原市の消防部局(消防本部)。管轄区域は相模原市全域。
消防局本部:相模原市中央2-2-15
管内面積:328.84km²
職員定数:719人
消防署4カ所、分署14カ所、出張所2カ所、派出所1カ所
主力機械(2006年4月1日現在)
普通消防ポンプ自動車:15

相模とは

『神奈川県立相模大野高等学校』より : 神奈川県立相模大野高等学校(かながわけんりつ さがみおおのこうとうがっこう)は、神奈川県相模原市南区相模大野にあった公立の高等学校。男女共学。通称は大野高。 商業地区でありながら閑静な住宅街にあり、相模原市内では神奈川県立相模原高等学校と並ぶ進学校として認知されていた。開校から数年間は学区制の影響や、交通事情の関係(相模原市北部から南部へ行く場合、鉄道だと町田市もしくは座間市を通過しなければならない)、そして周囲に同程度の高校が存在する(神奈川県立相模原高等学校、神奈川県立大和高等学校など)ことなどから、大半は相模原市南部からの通学であったが、学区制廃止以降、閉校時までに在籍していた生徒の6割が旧相模原南部学区外から通学していた。

相模とは

『神奈川県立相模大野高等学校』より : 神奈川県立相模大野高等学校(かながわけんりつ さがみおおのこうとうがっこう)は、神奈川県相模原市南区相模大野にあった公立の高等学校。男女共学。通称は大野高。 商業地区でありながら閑静な住宅街にあり、相模原市内では神奈川県立相模原高等学校と並ぶ進学校として認知されていた。開校から数年間は学区制の影響や、交通事情の関係(相模原市北部から南部へ行く場合、鉄道だと町田市もしくは座間市を通過しなければならない)、そして周囲に同程度の高校が存在する(神奈川県立相模原高等学校、神奈川県立大和高等学校など)ことなどから、大半は相模原市南部からの通学であったが、学区制廃止以降、閉校時までに在籍していた生徒の6割が旧相模原南部学区外から通学していた。

相模とは

『神奈川県立相模大野高等学校』より : 神奈川県立相模大野高等学校(かながわけんりつ さがみおおのこうとうがっこう)は、神奈川県相模原市南区相模大野にあった公立の高等学校。男女共学。通称は大野高。 商業地区でありながら閑静な住宅街にあり、相模原市内では神奈川県立相模原高等学校と並ぶ進学校として認知されていた。開校から数年間は学区制の影響や、交通事情の関係(相模原市北部から南部へ行く場合、鉄道だと町田市もしくは座間市を通過しなければならない)、そして周囲に同程度の高校が存在する(神奈川県立相模原高等学校、神奈川県立大和高等学校など)ことなどから、大半は相模原市南部からの通学であったが、学区制廃止以降、閉校時までに在籍していた生徒の6割が旧相模原南部学区外から通学していた。

相模とは

相模湖町(さがみこまち)は、神奈川県の北西に位置した津久井郡にかつてあった町である。2006年3月20日に相模原市に編入された。2010年4月からは相模原市緑区の一部である。 地理 山:景信山、孫山、嵐山、石老山 河川:相模川、道志川 湖沼:相模湖、津久井湖 ダム:相模ダム、沼本ダム 沿革 かつては甲州街道の宿場町として栄えた。 1889年4月1日 市町村制施行により、津久井郡小原(おばら)町・千木良村・与瀬駅が成立、小原町外1駅1ヶ村組合を結成。内郷村(寸沢嵐(すわらし)村+若柳村)も誕生。 1913年4月1日 与瀬駅が与瀬町に改称。のちに内郷村も加えて与瀬町外2ヶ町村組合を結成。 1947年、相模川を堰き止めた人造湖が完成し、相模湖と名付けられた。 1955年1月1日 与瀬町外2ヶ町村組合が町村合併、津久井郡相模湖町が発足。 2006年3月20日 津久井郡津久井町と共に相模原市に編入され、相模原市相模湖町(さがみこちょう)となり、地域自治区が2011年3月31日まで設置されている。

相模とは

相模国(さがみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。 「相模」の名称 「相模」の模という文字について、現存する律令時代の公文書に捺されている国印では「莫」の下に「手」を配した文字「摹」が使用されており、手へんの「摸」による相摸とするのが本来の表記である。 沿革 7世紀に成立。相武(さがむ)国造の領域(相模川流域、県中央部)と師長(しなが)国造の領域(酒匂川流域と中村川流域、県西部)を合したとされる。さらに、ヤマトタケルの子孫鎌倉別(かまくらわけ)の支配する鎌倉・三浦も加わる。 なお、もとは武蔵国と一つだったという説がある。賀茂真淵や『倭訓栞』には、身狭(ムサ)国があり、のち身狭上・身狭下に分かれ、語の欠落などでそれぞれ相模・武蔵となったとする。本居宣長は『古事記伝』で、佐斯(サシ)国を仮定し、佐斯上、身佐斯と分かれ、そののち相模・武蔵となったという。近藤芳樹『陸路廼記』などによれば総(フサ)国の一部が総上・総下となり、のち相模・武蔵となったとされる。

相模とは

相模鉄道の蒸気機関車(さがみてつどうのじょうききかんしゃ)は現在の東日本旅客鉄道 JR東日本相模線を開業した相模鉄道、及び同社神中線となった現在の相鉄本線に相当する路線を開業し、後に同社に合併された神中鉄道(1919年までは神中軌道)で使用された蒸気機関車の一覧である。
なお、本項に於いて相模鉄道の表記は、1943年4月の相模鉄道・神中鉄道合併以前は「相模鉄道」または「相模」、以降は「相鉄」とする。
相模鉄道・神中鉄道合併後の神中線に導入されたものも含む。
1920年に鉄道省から払い下げを受けた軸配置2Bのテンダー機関車5100形5100・5101で、元は1873年英キットソン(:en:Kitson & Co.)製の鉄道院19(後に18)・20である。鉄道省時代の番号から千位の5を取った100・101の2両が在籍した。翌1921年の相模線開業を前に建設作業にも使用されていた。1927年の3300形導入により余剰となり、100は加悦鉄道に譲渡された。101は相鉄に車籍が引き継がれた後、1950年に廃車された。相鉄史上唯一のテンダー機関車であった。


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