歌番号60-歌人:小式部内侍

小倉百人一首

上の句

大江山 おおえやま
いく野の道の いくののみちの
遠ければ とおければ

下の句

まだふみも見ず まだふみもみず
天の橋立 あまのはしだて

大江山 いく野の道の 遠ければ

まだふみも見ず 天の橋立

歌人

小式部内侍 こしきぶのないし

音声


スポンサーリンク

小式部内侍とは

小式部内侍(こしきぶ の ないし、長保元年(999年)頃 - 万寿2年(1025年)11月)は平安時代の女流歌人。掌侍。女房三十六歌仙の一人。父は橘道貞、母は和泉式部。母の和泉式部と共に一条天皇の中宮・彰子に出仕した。そのため、母式部と区別するために「小式部」という女房名で呼ばれるようになった。 母同様恋多き女流歌人として、藤原教通・藤原定頼・藤原範永など多くの高貴な男性との交際で知られる。教通との間には静円、範永との間には娘をもうけている。万寿2年、藤原公成の子(頼忍阿闍梨)を出産した際に20代で死去し、周囲を嘆かせた。この際母の和泉式部が詠んだ歌 — 『後拾遺和歌集』哀傷 は、哀傷歌の傑作として有名である。 小式部内侍の逸話は、下記の「大江山」の歌のエピソード、また教通との恋のエピソードを中心に、『十訓抄』や『古今著聞集』など、多くの説話集に採られている。また『無名草子』にも彼女に関する記述があり、理想的な女性として賞賛されている。 小式部内侍の歌 — 小倉百人一首 この歌は『金葉和歌集』にも収録されているが、そちらは「ふみもまだ見ず」となっており、百人一首とは語順が異なる。


このページのQRコード

メールを送る