歌番号54-歌人:儀同三司母(ぎどうさんしのはは)

小倉百人一首

上の句

忘れじの わすれじの
行く末までは ゆくすえまでは
難ければ かたければ

下の句

今日を限りの きょうをかぎりの
命ともがな いのちともがな

忘れじの 行く末までは 難ければ

今日を限りの 命ともがな

歌人

儀同三司母 ぎどうさんしのはは

音声で読み上げ


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儀同三司母とは

『高階貴子』より : 高階 貴子(たかしなの きし / たかこ、生年不詳 - 長徳2年(996年)10月没)は平安時代の女流歌人。女房三十六歌仙に数えられる。通称は高内侍(こうのないし)、または儀同三司母(ぎどうさんしのはは)。前者は女官名、後者は息子藤原伊周の官名(儀同三司)による。 従二位高階成忠(923年 - 998年)の娘、生母は不詳。成忠室には紀淑光女が知られ、貴子はその所生だとすれば、学者・紀長谷雄の血をひくことになる。兄弟に右中弁信順・木工権頭道順・伊予守明順らがいる。 和歌を能くし、女ながらに詩文に長けた由、『大鏡』など諸書に見える。円融朝に内侍として宮中に出仕し、漢才を愛でられ殿上の詩宴に招かれるほどであった。おなじ頃、中関白藤原道隆(953年 - 995年)の妻となり、内大臣伊周(974年 - 1010年)・中納言隆家(979年 - 1044年)・僧都隆円(980年 - 1015年)の兄弟及び長女定子を含む三男四女を生んだ。


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