歌番号48-歌人:源重之(みなもとのしげゆき)

小倉百人一首

上の句

風をいたみ かぜをいたみ
岩打つ波の いわうつなみの
おのれのみ おのれのみ

下の句

くだけて物を くだけてものを
思ふ頃かな おもうころかな

風をいたみ 岩打つ波の おのれのみ

くだけて物を 思ふ頃かな

歌人

源重之 みなもとのしげゆき

音声で読み上げ


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源重之とは

源 重之(みなもと の しげゆき、生年未詳 - 長保2年(1000年)頃?)は、平安時代中期の歌人・貴族。清和源氏、上野太守・貞元親王の孫で、三河守・源兼信の子。伯父の参議・源兼忠の養子。官位は従五位下・筑前権守。三十六歌仙の一人。 父・源兼信が陸奥国安達郡に土着したことから、伯父の参議・源兼忠の養子となった。 村上朝にて、春宮・憲平親王の帯刀先生(たちはきせんじょう)を務め、その際に最古の百首歌の一つである『重之百首』を詠進している。康保4年(967年)10月に憲平親王が即位(冷泉天皇)すると近衛将監となり、11月に従五位下に叙爵する。 円融朝半ば以降は、貞元元年(976年)の相模権守を皮切りに、信濃守・日向守・肥後守・筑前守など地方官を歴任した。またこの間、貞元2年(977年)頼忠家歌合や寛和元年(985年)円融院子日行幸和歌などに出詠している。 正暦2年(991年)以後に大宰大弐・藤原佐理を頼って筑紫に下向。長徳元年(995年)以後は陸奥守・藤原実方に従って陸奥国に下向し、長保2年(1000年)に当地で没したという。


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