歌番号42-歌人:清原元輔

小倉百人一首

上の句

契りきな ちぎりきな
かたみに袖を かたみにそでを
しぼりつつ しぼりつつ

下の句

末の松山 すえのまつやま
波越さじとは なみこさじとは

契りきな かたみに袖を しぼりつつ

末の松山 波越さじとは

歌人

清原元輔 きよはらのもとすけ

音声


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清原元輔とは

清原 元輔(きよはら の もとすけ、延喜8年(908年)- 永祚2年(990年)6月)は、平安時代の歌人・貴族。内蔵允・清原深養父の孫で、下総守・清原春光の子。娘に清少納言がいる。三十六歌仙の一人。 天暦5年(951年)河内権少掾に任ぜられ、のちに少監物・中監物・大蔵少丞・民部少丞・同大丞などを経て、安和2年(969年)62歳にして従五位下・河内権守に叙任される。 天延2年(974年)周防守に鋳銭長官を兼ね、天元3年(980年)従五位上に叙せられる。寛和2年(986年)79歳の高齢で肥後守として九州に赴き、永祚2年(990年)6月に任地にて卒去。最終官位は従五位上行肥後守。享年83は当時としては長命であった。 熊本市の清原神社(北岡神社飛地境内)に、祭神として祀られている。 『今昔物語集』28巻や『宇治拾遺物語』13巻には、元輔が賀茂祭の奉幣使を務めた際に落馬し、禿頭であったため冠が滑り落ちたさまを見物人が笑うと、元輔は脱げ落ちた冠をかぶろうともせずに、物見車の一台一台に長々と弁解し、理屈を述べて歩いた。


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