歌番号41-歌人:壬生忠見

小倉百人一首

上の句

恋すてふ こいすちょう
我が名はまだき わがなはまだき
立ちにけり たちにけり

下の句

人知れずこそ ひとしれずこそ
思ひ初めしか おもいそめしか

恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり

人知れずこそ 思ひ初めしか

歌人

壬生忠見 みぶのただみ

音声


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壬生忠見とは

壬生 忠見(みぶ の ただみ、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人。右衛門府生・壬生忠岑の子。父・忠岑とともに三十六歌仙の一人に数えられる。 天暦8年(954年)に御厨子所定外膳部、天徳2年(958年)に摂津大目に叙任されたことが知られるほか、正六位上・伊予掾に叙任されたとする系図もあるが、詳細な経歴は未詳。 歌人としては天暦7年(953年)10月の内裏菊合、天徳4年(960年)の内裏歌合に出詠するなど、屏風歌で活躍した。勅撰歌人として『後撰和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に36首入集。家集に『忠見集』がある。 逸話 「天徳内裏歌合」で 恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか(『拾遺和歌集』恋一621・『小倉百人一首』41番)と詠み、 忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまでと詠んだ平兼盛に敗れたために悶死したという(『沙石集』)。


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