歌番号4-歌人:山部赤人(やまべのあかひと)

小倉百人一首

上の句

田子の浦に たごのうらに
うち出でてみれば うちいでてみれば
白妙の しろたえの

下の句

富士の高嶺に ふじのたかねに
雪は降りつつ ゆきはふりつつ

田子の浦に うち出でてみれば 白妙の

富士の高嶺に 雪は降りつつ

歌人

山部赤人 やまべのあかひと

音声で読み上げ

上の句

下の句


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山部赤人とは

山部 赤人(やまべ の あかひと、生年不詳 - 天平8年(736年)?)は、奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。姓は宿禰。大山上・山部足島の子とし、子に磐麻呂がいたとする系図がある。官位は外従六位下・上総少目。後世、山邊(辺)赤人と表記されることもある。 その経歴は定かではないが、『続日本紀』などの史書に名前が見えないことから、下級官人であったと推測されている。神亀・天平の両時代にのみ和歌作品が残され、行幸などに随行した際の天皇讃歌が多いことから、聖武天皇時代の宮廷歌人だったと思われる。作られた和歌から諸国を旅したとも推測される。同時代の歌人には山上憶良や大伴旅人がいる。『万葉集』には長歌13首・短歌37首が、『拾遺和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集に49首が入首している。自然の美しさや清さを詠んだ叙景歌で知られ、その表現が周到な計算にもとづいているとの指摘もある。 柿本人麻呂とともに歌聖と呼ばれ称えられている。紀貫之も『古今和歌集』の仮名序において、「人麿(柿本人麻呂)は、赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける」と、赤人を人麻呂より上に評価している。

山部赤人は、奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。姓は宿禰。大山上・山部足島の子とし、子に磐麻呂がいたとする系図がある。官位は外従六位下・上総少目。後世、山邊赤人と表記されることもある。Wikipedia
生年月日:西暦700年
死没:西暦736年


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