歌番号31-歌人:坂上是則(さかのうえのこれのり)

小倉百人一首

上の句

朝ぼらけ あさぼらけ
有り明けの月と ありあけのつきと
見るまでに みるまでに

下の句

吉野の里に よしののさとに
降れる白雪 ふれるしらゆき

朝ぼらけ 有り明けの月と 見るまでに

吉野の里に 降れる白雪

歌人

坂上是則 さかのうえのこれのり

音声で読み上げ


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坂上是則とは

坂上 是則(さかのうえ の これのり、生年不詳 - 延長8年(930年))は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。右馬頭・坂上好蔭の子。子に望城がいる。官位は従五位下・加賀介。三十六歌仙の一人。 延喜8年(908年)大和権少掾、のち少監物・中監物・少内記を経て、延喜21年(921年)大内記、延長2年(924年)従五位下・加賀介に至る。 「寛平后宮歌合」や「大井川行幸和歌」など、宇多朝から醍醐朝にかけての和歌行事に度々進詠し、『古今和歌集』の撰者らに次ぐ歌人であった。『古今和歌集』(7首)以下の勅撰和歌集に39首が入集。家集に『是則集』がある。 また、蹴鞠に秀でていたらしく、延喜5年(905年)3月2日、宮中の仁寿殿において醍醐天皇の御前で蹴鞠が行われ、そのとき206回まで続けて蹴って一度も落とさなかったので、天皇はことのほか称賛して絹を与えたという。 小倉百人一首 31番 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪(『古今和歌集』冬332) 官歴 『三十六人歌仙伝』による。

坂上是則は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。右馬頭・坂上好蔭の子。子に望城がいる。官位は従五位下・加賀介。三十六歌仙の一人。Wikipedia


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