歌番号26-歌人:貞信公(ていしんこう)

小倉百人一首

上の句

小倉山 おぐらやま
峰のもみぢ葉 みねのもみじば
心あらば こころあらば

下の句

今一度の いまひとたびの
行幸待たなむ みゆきまたなん

小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば

今一度の 行幸待たなむ

歌人

貞信公 ていしんこう

音声で読み上げ


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貞信公とは

貞信公とは

貞信公記(ていしんこうき)は、関白太政大臣藤原忠平の日記。 日記の名称は忠平の諡号「貞信公」に因んだもので、『貞信公御記』ともいう。10世紀前半の政治史を知るうえでの基本史料で、朝廷儀礼や政務に関する記述が多く見られる。 今日現存するのは、忠平28歳の延喜7年(907年)から、忠平薨去前年の天暦2年(948年)までの期間で、途中欠落している部分がある。 忠平が記した日記の原形を伝える詳本は現存せず、現在伝来している『貞信公記』は、忠平の長男である実頼が抄出した抄本である。故に、記述が簡略であるため、他の日記に見られる朝儀の次第や、政務の手続き等の詳細な記述が余り見出せない。また、「私記」という形で実頼の記した註記が附されている。他に特徴として、実頼が日記を抄出する際、多数の暦注記事も抜書きしていることから、原本は具注暦に書かれていたことが分かる。ちなみに、藤原道長の日記である『御堂関白記』も具注暦に書かれている。 現在、本書の写本は、九条元公爵家本(鎌倉時代初期、重要文化財)が天理図書館に、久松本が京都大学に所蔵されている。

藤原忠平は、平安時代の公卿。藤原基経の四男。兄・時平の早世後に朝政を司り、延喜の治と呼ばれる政治改革を行った。朱雀天皇のときに摂政、次いで関白に任じられる。以後、村上天皇の初期まで長く政権の座にあった。兄・時平と対立した菅原道真とは親交を持っていたとされる。Wikipedia
生年月日:西暦880年
死没:西暦949年
親:藤原基経
子:藤原実頼、藤原師輔、藤原師尹
孫娘:藤原芳子
孫息子:藤原兼家、藤原兼通、藤原伊尹、藤原公季、藤原為光、藤原済時


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