歌番号22-歌人:文屋康秀

小倉百人一首

上の句

吹くからに ふくからに
秋の草木の あきのくさきの
しをるれば しおるれば

下の句

むべ山風を むべやまかぜを
嵐といふらむ あらしというらん

吹くからに 秋の草木の しをるれば

むべ山風を 嵐といふらむ

歌人

文屋康秀 ふんやのやすひで

音声


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文屋康秀とは

文屋 康秀(ふんや の やすひで、生年不詳 - 仁和元年(885年)?)は、平安時代前期の歌人。文琳とも。縫殿助・文屋宗于または大舎人頭・文屋真文の子。子に文屋朝康がいる。官位は正六位上・縫殿助。六歌仙および中古三十六歌仙の一人。 官人としては元慶元年(877年)山城大掾、元慶3年(880年)縫殿助に任官したことが伝わる程度で卑官に終始した。 『古今和歌集』仮名序では、「詞はたくみにて、そのさま身におはず、いはば商人のよき衣着たらんがごとし」と評される。勅撰和歌集には『古今和歌集』4首と『後撰和歌集』1首が入集するが、『古今集』の2首は子の朝康の作ともいわれる。 小野小町と親密だったといい、三河国に赴任する際に小野小町を誘ったという。それに対し小町は「わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ」(=こんなに落ちぶれて、我が身がいやになったのですから、根なし草のように、誘いの水さえあれば、どこにでも流れてお供しようと思います)と歌を詠んで返事をしたという。

文屋康秀は、平安時代前期の歌人。文琳とも。縫殿助・文屋宗于または大舎人頭・文屋真文の子。子に文屋朝康がいる。官位は正六位上・縫殿助。六歌仙および中古三十六歌仙の一人。Wikipedia
子:文屋朝康


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